珪藻トピック (2014年4月2日掲載)
第4回:珪藻研究を広げるナノテクノロジー
■ナノテクノロジーで研究が変わった
20世紀の終わりごろから、ナノテクノロジーという言葉が聞かれるようになりました。ナノテクノロジーは、ナノレベルで物質を作ったり、加工したりする技術のことです。ナノレベルまできちんと設計してモノづくりをすることで、さまざまな製品の性能が向上しました。また、ナノテクノロジーを生物の研究に応用することで、今まで測れなかったものが測れるようになるなど、基礎科学もナノテクノロジーの恩恵を受けています。
「ナノ」はメートルに対してどのくらいの大きさかを示す言葉で、1メートルの1000分の1が1ミリメートル、1ミリメートルの1000分の1が1マイクロメートル(1ミクロン)、1マイクロメートルのさらに1000分の1が1ナノメートルです。つまり、1ナノメートルは1×10-9メートルです。いくらか例外はあるとしても、分子はナノサイズ、細胞はもう少し大きくてミクロンサイズ、と思っておけばよいでしょう。
20世紀の終わりごろからナノテクノロジーが始まったといっても、電子顕微鏡などを用いて分子を見ることはもっと昔からできたし、DNA分子の二重らせんモデルは1950年代に発表されていたので、20世紀半ばまでナノレベルのことを知らなかったわけではありません。ナノテクノロジーがそれまでと違うところは、ナノレベルのことが手の内に入った、とでもいいますか、人知をもってナノレベルで物質を制御できるようになった、という点です。
ナノテクノロジーの直接活用だけではなくて、みえないところでナノテクノロジーが活きていることも多くあります。その一つが「1分子科学」、「1細胞科学」といわれる分野です。たくさんの分子や細胞をまとめて調べるのではなく、1個ずつ、丁寧に調べるという科学です。分子はナノサイズだからナノテクノロジーでよいとして、細胞はマイクロサイズだからマイクロテクノロジーではないか、という気もしますが、実際は、みえないところでナノテクノロジーが使われています。
もう一つ忘れてならないのはコンピュータの発展です。コンピュータを分解してみたら、これはナノテクノロジーの塊だとよくわかります。コンピュータが普及したのは20世紀の後半からで、ちょうどナノテクノロジーの歴史と並行しています。1980年ごろには、大学の研究室にもコンピュータは1台あるかないか、くらいだったはずです。この時代までの授業のプリントは、日本語のものはほぼ全部手書きでした。コンピュータが普及し、その性能が劇的に高くなったことは、研究のやり方を大きく変えました。たとえば、大量のデータを気軽に解析できるようになりました。
さて、いよいよ珪藻の話です。ナノテクノロジーと珪藻を結び合わせた研究は、21世紀になって増えてきました。その例として、マイクロチャンバーを用いた珪藻運動解析の研究を次節からご紹介します。
■珪藻の二次元運動の研究
珪藻には、自ら能動的に運動する種類と、運動しない種類とがあります。運動する珪藻は、固体表面(石の表面など)に付着して二次元的に滑走運動することが多く、運動の向きが反転したり、頻繁に速度を変えたりします。Navicula pavillardii という種類の珪藻の運動を倒立顕微鏡下で撮影した動画1をまず再生して、その独特な動きを確認してみてください。珪藻はそれほど素早く動くわけではなく、動画は4倍速の早回しですのでご注意ください。細胞と一緒に線が表示されますが、これは解析ソフトを用いて、細胞の動いた軌跡を描いたものです。細胞の幾何学的重心(およそ細胞の真ん中と考えてください)の位置を時間ごとに計算して、つないでいったものです。
動画1.海洋産珪藻Navicula pavillardii の観察例(マイクロチャンバーに入れない場合)。観察時間1分間、4倍速。画面の横幅が約800µm。撮影:宮林亨氏
運動する、というのは生物ならでは、の現象です。珪藻の複雑な動きには何らかの意味があるのでしょうか、それとも無意味に徘徊しているのでしょうか。また、大腸菌などの微生物はべん毛を回転させて推進力を得ていますが、上記の動画にみられる珪藻細胞にはべん毛はありません。珪藻はどのようなメカニズムで動いているのでしょうか? これらの疑問に対する答えは、まだ十分得られているとは言えませんが、多くの研究者が興味をもって研究を進めてきました。
ここでは、運動解析そのもの、珪藻の動きを動画に撮って細胞の軌跡を解析した研究に絞ってみます。1950年代にはすでに運動解析の論文が発表されており、日本からもIwasa and Shimizuの論文が1972年に発表されています。彼らの工夫は、寒天の表面で珪藻の動きを観察したことです。珪藻が滑走すると寒天表面にスジ状の跡が残り、動きの軌跡が記録できています。また、同じころにはイギリスのEdgarも盛んに論文発表しており、1979年には、映画のフィルムを使って珪藻の動きを精密に撮影し、データをコンピュータに取り込んで解析した、という先駆的な論文を発表しています。映画フィルムの情報をコンピュータに取り込むのは当時としては大変で、1コマずつスクリーンに映写して珪藻細胞の位置をパンチカードに写し取り、パンチカードをコンピュータに読み込む、という手間のかかる作業をしています。パンチカードといわれても今では何のことかわからないでしょうが、マークシート用紙に似ているかもしれません。Edgarがすごいのは、1/20秒ごとに珪藻細胞の位置を解析して、細胞の頻繁な速度変化を数値で示しているところです。
■マイクロチャンバーを用いた1細胞観察
運動解析の研究で困るのは、観察している細胞が顕微鏡の観察視野から逃げてしまうことです。よく動く細胞であればあるほど、すぐに視野からいなくなってしまい、同一細胞の長時間観察は困難です。この問題を解決したのがマイクロチャンバーを使った1細胞観察技術です。
1細胞観察技術では、顕微鏡の観察視野に収まる大きさの小さな箱、マイクロチャンバーを作製して、そのなかに細胞を閉じ込めます。マイクロチャンバーの作り方はいろいろあり、シリコンウエハやガラスの表面に、光リソグラフィーや電子ビームリソグラフィーで凹凸パターンを作る方法がひとつです(図1の矢印①)。溝のようなパターン、円形パターン、あるいは迷路でも、設計図通りにナノレベルの凹凸パターンを作ることができます。ナノサイズで作ってしまったら細胞が入りませんので、細胞用にはマイクロサイズで作りますが、この微細加工技術はナノテクノロジーの一つです。実際にシリコンウエハ上に作製したパターンのデジカメ写真が図2です。点のように見えるのが一つのパターンで、一枚のウエハ上にたくさんのパターンを並べて作製してあります。
図1.ナノリソグラフィーとナノインプリントを用いたマイクロチャンバーの作製法の例。矢印1:光リソグラフィー等を用いてシリコン基板表面に凹凸を作製。矢印2:シリコン基板表面(鋳型)に溶かした樹脂を滴下して固め、はがし取ることでレプリカを作製。矢印3、4:鋳型あるいはレプリカに細胞を滴下して閉じ込め。
図2.シリコン基板上に作製したマイクロパターンのデジカメ写真。左側に直線状のパターン、右側に渦巻き状のパターンがたくさん並んでいる。点のように見えるのが一つのパターン(大きさ600から700µm)。
作製したパターンをそのまま使ってもよいですし、溶かした樹脂をパターンに流し込んで固め、固まった樹脂をはがし取るとパターンのレプリカができるので、たくさんレプリカを作って使い捨てで使うこともできます(図1の矢印②)。歯医者さんで、ピンク色の樹脂で歯の型を取りますが、あれを小さくした感じです。レプリカの作製法はナノインプリント技術と呼ばれており、パターンの使用目的に応じて最適な樹脂が開発されています。
動画2.海洋産珪藻Navicula pavillardii の観察例(ふたのないマイクロチャンバー)。観察時間5分間、20倍速。スケールバー100µm。撮影:羽子田貴広氏
作製したマイクロチャンバーに数個体程度の珪藻細胞を入れて観察したのが動画2です。20倍速に編集してあります。このチャンバーは蚊取り線香に似た渦巻き型の溝になっています。一つの溝の幅が40ミクロン、深さが25ミクロン、チャンバー全体の直径が600ミクロンで、ちょうど顕微鏡の観察視野に収まるように設計してあります。この細胞は、溝の外側の壁に沿って動き、ときどき反転していることがわかります。各時刻での位置が数値として得られていますので、細胞の動く速度、加速度などを求めることができます。
動画3.海洋産珪藻Navicula pavillardii の観察例(ふたのないマイクロチャンバー)。動画2を撮影後、薬物を滴下して、同一細胞の軌跡を解析したもの。観察時間5分間、20倍速。スケールバー100µm。撮影:羽子田貴広氏
マイクロチャンバーはシャーレの中においてあり、シャーレは液体の培地で満たしてあります。このシャーレに、N,N-ジメチル-p-トルイジンという薬物を注入して、同一細胞を再び動画撮影したのが動画3です。この動画も20倍速です。何となく、動きが速くなった感じがしませんか。さて、ここで問題です。この実験結果から、この薬物投与によってこの種の細胞は早く動く、と結論したら信用されるでしょうか? おそらく、多くの人が信用するのではないでしょうか。
たった1回の実験でも信用したくなるのは、同一細胞で薬物投与の前後を比較しているからです。もし、投与の前と後で、別の細胞を観察したとしたら、そう簡単には信用できないでしょう。人間も走るのが早い人と遅い人があるように、細胞にも個体差がありますから、投与前に観察した細胞はもともと遅い細胞で、投与後に観察した細胞はもともと速い細胞かもしれません。そうなると、たくさんの細胞を観察して、平均速さを計算して、ばらつきを考慮して、と大変なことになります。細胞ごとの個体差は非常に大きいですから、よほど大きな違いがないとはっきりした結論は出せないでしょう。
実際は、1個体だけではたまたまという可能性もあるので結論を出すには不十分で、ある程度の個体数のデータを取るべきです。しかし、同一細胞での比較を行えば、別々の細胞で比較する実験に比べてはるかに少ない個体数で結論が出せ、わずかな違いも見逃さないですみます。マイクロチャンバーを用いて同一細胞を逃がさずに長時間観察できたから、かつ別の細胞が視野に入り込まないようにできたから、このような実験が可能になりました。コンピュータの性能がよくなり、大容量の動画データを解析できるようになったことも、その背景にあります。これらのことは、ナノテクノロジーの進展があって可能になったというわけです。
ところで、動画をよく見ると、溝から逃げ出している細胞もあります。この実験を行ったときは、珪藻は二次元運動をするのだから、溝に入れれば逃げないだろうと思っていたのですが、なかには溝を乗り越えてしまう細胞もありました。最近では、マイクロチャンバーにフタをして、完全に密閉する実験も行っています。動画4は、直線状のチャンバーに細胞を入れてフタをし、90分間観察を続けたものです。退屈しないように、230倍速に編集して短時間に終わるようにしてあります。フタをすると、まったく細胞が逃げ出さないことがわかります。
動画4.海洋産珪藻Navicula pavillardii の観察例(ふたをしたマイクロチャンバー)。観察時間90分間、230倍速。スケールバー100µm。撮影:阿部槇人氏
マイクロチャンバーを用いた1細胞観察は、大腸菌などさまざまな生物の研究で大流行しています。しかし、珪藻に関しては今のところ、世界的に見て我々のグループからしか論文発表がなく、オンリーワンの状態です。いちはやくコンピュータを導入して珪藻運動解析の研究に大きな足跡を残したEdgarさんは2006年に亡くなりましたが、もしいま現役の研究者であったなら、ナノテクノロジーを使って素晴らしい研究をされるのではないかと思うと、ちょっと残念です。でもそれは、これから研究者を目指す若い人に研究テーマを残してくれたとも考えられるのではないでしょうか。
謝辞 本研究テーマでは、珪藻の取り扱い全般について東京学芸大学の真山茂樹先生、マイクロチャンバー作製について東京女子医科大学の熊代善一先生、糸賀和義先生、岡野光夫先生にご協力いただいています。また、東京理科大学総合研究機構グリーン&セーフティ研究センターより補助金をいただいています。ここに感謝の意を表します。
2014年2月13日 梅村和夫
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